ヤハウェ=ハ○ヒ?

あるサイトで、そんな説が浮かび上がってました
要は旧約聖書であんなに傍若無人ヤハウェをなんで人は信仰しているのか、と
その回答の一つです


信仰する者にとっては
ヤハウェ=涼宮○ルヒ ってこと?


モーセとか預言者の方々はヤハウェの言動に悩まされつつも、ヤハウェに従う。
ヤハウェを軽んじて、癇癪でも起こされたらたまったものじゃない、とかって理由で。


ヤハウェ「つまんない、つまんない。そうだ。あんた、子供を生贄に差し出せ」


ヤハウェ=涼宮ハル○説 に基づくと
モーセ十戒は学園祭の映画みたいなものなんじゃあないかな。


ヤハウェ「映画に必要なのはインパクトよ」
モーセ 「インパクト?」
ヤハウェ「突然、岩に私のメッセージが刻まれる」
モーセ 「意味が分からない」
ヤ   「だから、インパクト。海とか割れたら凄いんじゃない?」
モ   「好きにしてくれ」
ヤ   「そうね。カタルシスも欲しいから、あんた達は弾圧されるの」
モ   「ちょ、弾圧される理由が理不尽」
ヤ   「別にいいじゃない。その後で救いが待ってるんだから。これで私の信者が増えるわ」


こうして、監督・脚本・演出ヤハウェによる『十戒』が生まれた。



旧約聖書の成り立ちを考えてみると、
ヤハウェ「信仰を広めるにはストーリーが必要なのよ」
ヨブ  「民話とかを創れって言っているのか?」
ヤハウェ「そうね。武勇伝みたいなものが望ましいわ」
ヨブ  「化け物でも退治すればいいだろ」
ヤハウェ「それじゃスケールが小さい。そうね、街を滅ぼすくらいがいいわ」
ヨブ  「街ねぇ…俺はてっきり世界を滅ぼすかと思ったよ。案外、ヤハウェもまともだな」
ヤハウェ「あんたも良いこと思いつくじゃない。そうね、世界を滅ぼすのも面白いわ
     アイディア出したお礼に、ヨブの話も入れてあげる」
ヨブ  (俺のバカ。なんてことを言っちまったんだ……)


こんな感じで作られた。
ついでに言うと、ヨブ記ってまんま『涼宮ハノレヒの憂鬱』になるんだと思う。





声が脳内再生されたやつは「一般人」の「一」すら発言することは許しません